サマーエンド・ラプソディ
         〜789女子高生シリーズ

 



       




所属しているバレエ団の、夏の定期公演・千秋楽を無事迎え。
盛況のままに終幕したのが、とうに陽も落ちてしまった頃合いで。
反省会はまた後日、今日のところは帰ってお休みと、
今回唯一の未成年レギュラーだった、
ハーミア姫こと 三木さんチの久蔵お嬢様。
時刻としてはまだ九時台で、
奨励されることではないながら、それでも今時の女子高生世代なら、
繁華街で遅いめのロードショー観てましたというクチも居よう時間帯。
良家のお嬢様に間違いがあっちゃいけないと、
大人の団員の皆様が見送って下さりはしたけれど、
実はこのまま、お友達と待ち合わせている“八百萬屋”を回る予定だし、
それに関しては…

 “あ…。”

そっか、しまった。
開演前に楽屋まで来てくれた兵庫さんへさえ話してなかった。
なのでというのも妙な話の順番だが、
自分の手を引いていて、妙に急ぎ足なこちらの運転手さんへも、
そこのところの段取りは一切話してなかったなぁと
今になって気がついた紅ばら様。

 “だって、”

三木家のお抱え運転手は、家人の数以上に何人もいて、
とはいえ、
両親がそれぞれの御用でお出掛けだというのへ従う人や、
大事なお客様をお迎えに向かうお人というのがほとんどであり。
まだまだ元気でお若いし、学生さんだし、
何よりご自身からして、
自家用車での外出というのがお好きではない久蔵お嬢様には、
専属のという運転手が基本的には決められてはいない。
急な、しかもお急ぎの外出だからとか、
夜半や雨の中のお出掛けなどへ、
ご両親がどうしても乗って行きなさいと言い聞かせた場合くらいなので、
その折々に居合わせたドライバーさんたちの中から、
行き先へ通じている者が選ばれて担当となる…という順番なのだが。
このバレエの公演にあたっては、
こちらのホールでのリハーサルが始まったころから、
同じこの人がずっと受け持ってて下さっており。
道への勝手をようよう御存知だからということか、
それとも 一番最初に受け持ったので、
そのまま続けて彼が…と担当になっちゃったのか。
その辺りの段取り、
実はよく知らない久蔵殿なのはまま仕方がないとして。

 「…………。」

存外 若い人だったんだなというの、
今の今、初めて気がついたお嬢様だったりし。
この1週間ほど、
毎日のように家からこちらまでを送り迎えしてもらい。
久蔵が無口なせいもあるし、
そもお仕事なのだから、車中でも余計な無駄話はしなかった。
とはいえ、それでも
『いってらっしゃませ』や『お帰りなさいませ』と、
車の乗り降りの際には声をかけても下さっていた筈なのだが。
さっき、不審な気配を見現そうと構えていたおりに掛けられたお声に、
少なからず“え?え?”と翻弄されかかったくらい、
実はお声のほうも、意識して覚えてはなかったお嬢様だったようで。

 『……ちょっと待って下さいな。』

それって、本当に久蔵殿のところの運転手さんなの?と。
怪しい気配を探ってたの、いきなり中断させられたってのに、
一体 何を持って来て、あっさりと信用しちゃったの?と。
紅ばら様の気配感知の勘を信用しておればこそのこと、
それっておかしいし怪しいと。
ひなげしさんや白百合さんが居たなら、
ずばりと指摘されそうな流れじゃああったが、

 「………。」

不思議とそういう不審が一切沸かない。
先程いきなり声を掛けられたのへ、
ギョッとしつつも、そうだったからこそ、
きさま何奴だ…っとばかり、しっかと見据えた久蔵だったのへ、

 “この人、微笑った。”

いつもとは違う通用口ですと、
しかも わざわざ迎えに来たのだから、
慌てるか焦るかするものだろうに。
迷子になったように立ち尽くしていた久蔵を見かけて、
だが彼としてはホッとでもしたものか。
何者かの気配へと気を張り詰めさせていたとも知らず、
帰りましょうねと微笑いかけてきたのへ、
有り体に言えば、毒気を抜かれてしまった久蔵で。

 “きれいな手。”

強引に捕まえられてる訳じゃあなかったが、
誘導しやすいようにという力加減で腕を取ったままの彼であり。
だがだが、その加減の絶妙さといい、
薄暗い通路を進む、ともすりゃあ怪しい道行きの中、
時折 肩越しに振り返り、

 「……。(微笑)」

にこりと、安心させるかのように頬笑んでくれる気遣いといい。
こんなにも優しげではんなりした物腰のお人だったとは、
全くの全然気がつかなんだと。
どんだけ回りを見ていない自分かを、
この人に限って
重々思い知らされたらしい紅ばら様だったようであり。

 “だって…。”

どうしてだろうか、無条件に安心出来る。
優しい男性みたいだから危険を感じないとかいうんじゃなくて。
ましてや、
自分も腕に覚えがあるので、
この紳士っぷりが万が一にも演技だとしても
余裕で返り討ちにしちゃえるぞとかいう、
そっちの やんちゃ過ぎてもってのほかな想定でもなくて。

 “……隙がない。”

少し急ぎ足なのは、薄暗さについつい急かされてというよりも、
もしかせずとも…久蔵を何かから逃がしたいからだと思えてやまぬ。
ここから急いで離れましょうと、
言ってしまうと 不審がるか怯えるかという事態を招くので。
何にも告げないまんま、
帰ろう帰ろうと急かしておいでなんだろなと、

 “…。”

そうと酌み取れてしまうのは、
久蔵お嬢様が…前世分も加算されてのこと、
見かけによらない練達だったからであり。
そして、

 「…っ。」

背条が総毛立ったほど唐突に、
真後ろから ぶわっと突然沸き立った気配を感じ。
不甲斐ないことながら、身がすくみかかった彼女の腕を引いて、

 「足元にコードがっ。」

つまずきますよと注意したように見せかけて。
やはり巧みに、無理強いしてはないような、
要領を得た力の込めよう引っ張りようで、
そりゃああっさりと、
久蔵の痩躯をご自身の懐ろへ掻い込んでしまった鮮やかさ。
あえて細かく解析するなら、
思わぬ間合いで引っ張られたことで、
足元への注意がおろそかになった久蔵が、
倒れ込んで来たところを屈み込んでの、
膝下と背中に腕を回して掬い上げ。
抱えた存在の手足をぶん回しの加速でひねらぬように加減しつつも、
くるりと回れ右をすることで、自分の身をそのまま盾にし、
護衛すべき久蔵お嬢様を何物かから遠ざけており。
全部へ3秒とは掛かってなかろう素早い仕業は、
心得のない素人には魔法のように思えたかも知れぬ。

 「すみません。乱暴しまして。」

前後になって駆けていた位置を、
それは鮮やかに、
しかも刹那の早業で入れ替えてしまった手際も凄まじければ、

 「 …あ。」

裏方用の廊下の途中、照明も相変わらずに弱い中だったが。
それでもここまで間近だ、
済まなさそうに微笑って見せた彼のお顔がはっきりと見て取れて。
洒落っ気のない細口フレームの眼鏡に、
骨張らぬ頬と柔和な表情とそれから。
それも若々しく見えた要因の、撫でつけてはなかった黒髪が、
何だか妙に傾いてのずれており。
その肩口から妙にちくちくした何かが降ってくるなと思いきや、

 「あ…。(髪の毛?)」

さっき久蔵と立ち位置をすり替えた、その動作のどこでやられたか。
恐らくは背後へ沸き立った気配の主が、
何か刃物でもって、鋭く切りつけたのは明白で。
映画じゃアニメじゃには結構よくあるシチュエーションだが、
そもそも髪の毛というのはそうそう容易く切れるものじゃない。
ましてや掴みかかって根元から押さえ付けてたワケでなし、
ゆらゆら揺れてる代物は、木の枝や柳であれ、

 “よほどに勘がよくなければ…。”

すっぱりと切り裂くのは不可能だと。
そこはそれこそ前世の自身の勘が、
今は少女の白い手の中の底の方で、
ウズリと もやったのでよく判る久蔵だったが。

 「怖かったでしょうね、ごめんなさい。」

悲鳴も上げず取り乱しもしないが、
だったら呆然と見上げているように思えたか、
ドライバーの彼はちょっぴりと眉を下げ、久蔵へとそうと告げ、

 「説明する余裕はありませんが、
  大丈夫、あとちょっとで外へ出ます。」

その表情に残念そうな香りがしたのは、
出来れば何も気づかせぬまま、
久蔵を当たり前の帰途につかせたかったからだろう。
ちょっぴり風変わりな、
過ぎるほど寡黙でバレエ以外には関心も無さげな女子高生。
その一途さが実った公演だってのに、
いやな想いまで一緒に思い出させるのは気の毒と、
苦笑に染まっていたお顔、見る間にきりりと冴えさせたお兄さんは、

 「ここからはわたしがお運びしますので、
  しっかり掴まって、口も噤んでいてください。」

そうと言って、腕へと力を込めたのへ、
あ…っと気がついたことがもう一つ。

 “……こやつ、結構な練達だ。”

そのままで駆け出すぞという動作の手前、
胸元や二の腕が、くっと堅く締まったのだが。
運転手としてのお仕着せ、
シンプルながらもスーツをまとっておいでだというに、
シャツとジャケットの下になってるにもかかわらず、
それらを通しての筋骨の躍動が、そりゃあ頼もしく伝わって来たからで。
実用に即した鍛えようを怠らない、
そんな体をしておいでだと…
触れてるだけで判ってしまうお嬢様ってのもどうかと思いますが。
(苦笑)

 「……っ。」

心持ち姿勢を低めたのは、蹴り足にバネをためたから。
それから…あっと言う間に駆け出した加速が、
これまた結構な速さだとあって。

 「〜〜っ。」

怖くはなかったが、落ちかかっての邪魔になってはいかんと、
相手の胸元へぎゅうとしがみついてた紅ばら様。
足音もしなければ、振り回されるような揺れ方もしない。
細身の、言い方は悪いが優男に見えたのに、
何という余裕で駆けてゆく彼だろか。
いくら久蔵が痩躯で小柄で軽いとはいえ、
子犬や仔猫じゃああるまいしで、
横抱きにした分、幅だって出来たのに。
ちょっぴり身を屈めたまんま、
風のように駆けてゆく彼の向かう先をと見やれば。
常夜灯の頼りない明かりがまだらに陰を落としている空間の中、
その輪郭が何とか半分ほど浮かぶ非常扉が、
無愛想な表情で彼らを待ち受けており。

 「あ…。」

それが表側から ぎいと開かれてゆくの、
久蔵が気づいたのとほぼ同時、

 「…っ!」

これほどの加速で駆けていた人が、
よくぞ見極めての反応出来たという素早さで、
その身をその場でひたりと留めた。

 「…え?」

何でどうしてと見上げたと同時、腕へと力が籠もっての、
そのままぎゅうと掻い込まれており。
何が何やら、
どうしてと問いかけたお顔を見上げた途端、
その視野へと飛び込んだのは、

 「………っっ!?」

目にも止まらぬ早さと勢いで、真正面から飛んで来た何かに、
額の端を弾かれてしまった彼だったところで。
ぎりぎり避けようとしたらしく、顔が思い切り背けられていたけれど。
それでも当たったものが傷つけてのこと、
しぶきのようなものが、
仄かな明かりの下、周囲へ散ったのが見て取れて。

 「あ…っ!!」

ああ、この人の名前を知らないと、それを途轍もなくもどかしく思った。
大丈夫かと案じられてやまない気持ちが、胸の内にて大きくうねる。
怪我をしたなら、それを突き飛ばしたい。
時よ戻れと、無情な“今”を振り払いたくて。
抱えられたまま、それでもと久蔵が上へと伸ばした手だったのを、

 「…っっ!」

別な誰かが掴み取る。
油断していた訳ではなかったが、
外から開いた扉から、入り込んだ誰かがいたのは明白。
そいつがこの人へと何か仕掛けたというのなら、
この、想いも拠らない手の持ち主はもしかして?

 「……っ!」

怯むどころか、むしろますますと意気軒昂。
そうも好き放題ばかりが出来ると思うなよと、
薄い唇をぎりりと咬みしめて。
内側になっていた左手を、そりゃあ素早くこぶしへ握ると、
捕まえられた手を引き寄せながら、
その手首へと…そこを束縛している誰かの手を目がけ、
正拳と化した“ぐう”を繰り出しかけた…のだが。

 「……ヒサコ様。その子は味方です。」
 「…っ。」

他でもない人のお声が、すんでのところで紅ばら様の手を止めさせる。
というのが、

 「あ…の。//////」
 「ああ、すみません。
  車輛係では、
  外ではお嬢様を“ヒサコ様”とお呼びするようにと、
  堅く言い渡されておりますので。」

久蔵という名に障りがあるというのではなくて、
この特別な呼び方で、成り済ましの紛れ込みを防ぐ効果があるらしい。
現に、これでも瞬発力には自信のある久蔵の手がぴたりと止まったほど、
それは的確な威力を発揮している。
何か、不意打ちで怪我を負わされたように見えたその人が。
額の隅を何かに叩きのめされたように見えた、
自分を抱えたままのその人が。
にこりと微笑ってそのお顔を元の向きを戻しており。
よくよく見れば、弾け飛んだように見えたのは、
最初の襲撃を受けた折、微妙にずれて見えていた髪の方。
咄嗟に顔を背けた勢いと、
やはり飛んで来はした何かが当たったせいとで、
完全に弾き飛ばされたのは、彼が装着していたウィッグで。
黒髪の少し伸びかけのシャギーという感じの髪形だったものが、
一気に吹っ飛んだその下から現れたのは、
きゅうと引っつめに束ねて結い上げてあった、癖のない金の髪。
カツラを装着していた都合からそうしていたらしいのだが、
この薄暗い中でも、淡い色合いとその煌きが見て取れて、

 「怪我、は?」

恐る恐る訊いてみると、
まろやかなお顔へ尚の笑みをにこぉっと重ねて。

 「大丈夫。咄嗟に避けましたし、それにこの子が…ほら。」

視線で示したのが、向かい合う格好になっている怪しい誰か。
体格のバランスやら 頬の線などから察するに、
どうやら久蔵自身と変わりないくらいの、
十代半ばほどだろう男の子であるらしくって。
依然として久蔵の手首を取り押さえたままでおり、
だが、そんな無体をした割に、
殺気とか悪意とかいう、邪ま
(よこしま)で重い空気は抱えてはいない。
ツバを後ろへ回したキャップ帽をかぶり、
ミリタリ調か、はたまた鳶職風なのか、
ポケットの多いベストとカーゴパンツと、それから。
どういう仕組みのそれなのか、
強いて言えばスムースジャージのタートルネックを、
上へと延ばして口元を隠しているような。
そんなマスクでお顔の半分を覆っていて、

 “随分と時代がかった不良…。”

そういや、ずんと昔の不良はやたらマスクしてましたが、
そういうのとも違うんじゃあなかろかと、思った証拠にしていいものか。
久蔵お嬢様の手を掴み止めてたほうじゃない側の手にも、
何かを提げている彼であるらしく。
一体 何だろと見下ろせば…

 「………っ。」

ぐたりと萎えて伸び切った、誰か大人の腕を取り、
このまま表の生ごみ捨て場へ行く途中です、
何て奇抜なことじゃあありませんという、
たいそう澄ましたお顔でいる彼で。

 “外から襲い掛かったのが こやつだってことか?”

最初の襲撃者の仲間だろう輩。
しかも、完全に別行動をとっての待ち受けていた手合いで。
それを…微妙に遅れを取りつつも、
こうして取り押さえた手腕は大したもの。
ただ、久蔵の腕を取り押さえたのが どういうつもりだったのかは、
こうなってくるとますますのこと定かじゃあないが。

 「…もういいですよ?
  そこまでしっかり人事不省になっているなら、
  向こうの廊下で伸びてる人同様、
  所轄の方がお越しになるまで大人しくしていることでしょうし。」

くすすと微笑って、運転手の彼がそうと言えば、
キャップをかぶった方の彼が、こくりと頷き、手を放す。
だが、相変わらず久蔵の手は捕まえたままでおり、
そんな彼なのへと、こちらの彼が目尻を下げて微笑いかけ、

 「…………きゅうぞう殿。」

かすかな声は、まるで内緒話のようでもあったし、
あっと言う間に宙へと溶けて跡形もなくなったほど、
印象もないよな言い方だったけれど。

 「??」

あれ、それって俺と同じ名前なんじゃあと、
お嬢様がキョトンとした隙をついたかのように、
怪しい少年の手が、やっと紅ばらさんの手から離れた。

 「???」

この対応からして、
こちらの顔を隠した少年も、
もしかして“きゅうぞう”という名前であるらしく。

 「?????」

何が何やら、根底のところがさっぱり見えないまんま、
それでも、さっきまでの緊迫も
あっさりと拭われてしまった紅ばらのお嬢様。

 「さあ、それでは帰りましょうね。」

そんな風にお声を掛けられ、そこでやっとハッとして、

 「あ、えっと…。」

あのね違うの、お友達がね…と。
今宵の予定が変わったのだという事情、
自分にとっての“日常”へ戻る鍵を、
やっとのこと、伝えることが出来たのでありました。






BACK/NEXT


  *なかなか出て来ない久蔵だったのへ、
   きっと兵庫さんはプチパニックを起こしていたに違いないです。
   そこへ、抱えられてのご登場ですからね。
   白百合さん似のお兄さんは、
   泣きつかれるにせよ怒鳴られるにせよ、
   ちょこっと覚悟がいるかもですね。
   (怒鳴られる場合は、
    お連れさんが激発しないかを用心しなきゃですし・笑)

  *話の根幹は、
   久蔵殿同様、何が何やら状態なお人が多いことでしょね。(こら)
   もちょっと…と言うか、おまけがありますので、
   よろしかったら覗いてくださいまし。

めーるふぉーむvv ご感想はこちらへvv

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